前回の日記から3年空いているのにも白目だが、何より最後に作品を同人誌として出してから10年の歳月が経っていて、脳味噌の一時停止にも程があると気を失いそうになった。
10年ほど前の自分何してた?と思い起こせばひと月ほどの間色々なジャンルの雑誌編集部に持ち込みをしては撃沈を繰り返し、こりゃ(経済的に)限界だなというところで派遣社員として激務に身を投じた覚えがある。
それからの10年余、自分の漫画に関する記憶はといえばまるで冬眠しているかの如くあまりないのが正直なところだ。ときおり思い出したように原稿を触ってはみるものの何故か脳が一時停止してしまう。自分で考え始めた作品の筈なのにだ。そのことで余計に自分にガッガリしてしまい原稿入れの蓋をそっ閉じしてしまう。
考えてみれば自分は商業雑誌で作品を発表し始めた頃から「〇〇な自分にガッガリ」の連続だった気がする。編集部に自分を押し通せない自分にガッガリとか、作品を待ってくれている読者に思うように届けられない自分にガッガリとか。
その結果作品を作りたい気持ちを自分の中で腐敗させながら時間だけを食いつぶして10年。油断すると「漫画の描けない自分に存在価値などあるのだろうか」という負の感情に支配されそうになり、その度に「いやいや、それは腐ったナルシシズムの最たるものだろう」と自分ツッコミを入れながら……。
それが何故急にこんな日記を書き始めたかといえば、長年勤めた職場の派遣切りに遭ったからだ。たとえ長期勤務とはいえ所詮派遣、いつそんな憂き目を見てもおかしくないとは心のどこかで思ってはいた。だがいざそうなると人間こんなにも慌てるものなのだなとまた自分に少しガッガリ。何とかあまり間を置かずに次職が見つかったが年齢的なこともあり経済的に厳しくなったのは頭の痛いところではある。
ところがそのおかげなのかどうなのか、派遣切りの衝撃から立ち直りつつある今、何故か自分の中の漫画脳が冬眠から覚め始めたようで、脳が勝手に原稿を触り始めているのだ。
それはずっとキツいゴムで縛って鬱血してた部分のゴムを外したら急に血がドクドクっと流れ始めたような、いわゆる開放とは少し違う表現しにくい感じ。
ところが原稿を触り始めたのはよいものの、大きな問題が露呈した。
自身の老朽化とデジタル環境の老朽化だ。
視力の低下は如何ともしがたく、だが眼鏡を新調することでその悩みは5割程度改善した。
問題はデジタル環境の老朽化だ。ウチのMacBookは2006年製。人間で言えば100歳を超えていても不思議はない。USBポートも反応しなくなり複合機を繋ぐこともままならなくなった。辛うじて外付けHDDは反応するので怖々バックアップ。薄氷を踏むようなとはまさにこんな感じか。
アナログで原稿を描くことがダメかといえばそんなことはないのだが、なにせワンオペ派遣人生。効果を入れたりトーンを貼ったりと漫画原稿としての体裁を整えるのにデジタルの利便性を知ってしまうと100%アナログには戻り難い。
先日コロナのワクチン2回目を無事打てたことで、心のストレスはだいぶ減ったのではないかとも思う。こんなことをつらつら日記にしたためながら今日も地下鉄に揺られ勤務先に向かう。
この脳味噌の開放感がどのくらい続くのか、無事作品を人前に出せるまでになるのか、先は読めないが、今回ばかりは自分にガッガリを返上できるかもしれない。というかそうあって欲しい。
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